
13歳の自分は何をしていた?環境の違いがもたらすもの
今回のテーマは「13歳の自分は何をしていたか」だよね。中学に入りたての頃、自分がどういう人間だったのか。そこから今の自分たちがどう形成されたのかを振り返っていきたいんだ。
面白いね。13歳って、まさにアイデンティティの原点みたいな時期だもんね。ちなみに、当時の環境ってどんな感じだった?
僕は中学受験をして、都内の男子校に進学したんだ。地元の公立とは完全に切り離された環境で、中高一貫の男子校という、いわばむさ苦しい男たちに囲まれた生活を送っていたわけ。環境がガラッと変わったのが大きかったかな。
なるほどね。僕は逆に、小学校からそのまま地元の公立中学に上がったんだ。小学校の友達もほとんど同じ中学に行くし、知り合いが増えるくらいの感覚だったかな。共学の地元コミュニティで、自然体で過ごしていた感じだね。
そう考えると、僕と田中ではスタート地点から環境が真逆だよね。男子校という閉鎖的な空間と、地元の共学というオープンな空間。この最初の分岐点が、その後のキャラ付けや自己形成にどう影響したのか、すごく興味深いよね。
本当にそうだよね。環境の違いが、今の自分という「幹」をどう育てたのか。ここから深掘りしていこうか。
部活動の経験が人生の幹となる?13歳での「しくじり」と後悔
中学校の部活って、今振り返るとむちゃくちゃ異質な空間だったよね。いろんな背景を持つ奴らが集まっていて、その経験が今の自分の研究テーマにも繋がっている気がするんだわ。
確かに、あの頃の人間関係が自分の根本になっている部分は大きいよね。僕は運動部にいたけど、結局水が合わなくて途中で辞めちゃったんだ。今思えば、そこで逃げずに生き方を学んでおけばよかったかなって思うこともあるよ。
わかる。僕もサッカー部の体験入部で練習が厳しすぎて、泣きべそかいて帰った経験があるからね。もしあの時、もう少しガッツがあったら、今の性格も少しは変わっていたのかなって思うことはあるよ。
完全に井の中の蛙だったよね。でも、部活というコミュニティの中で、だんだんと自分のキャラが位置付けられていく感覚ってあったよね。
そうそう。所属する場所で「自分ってどんな人間なんだろう」って輪郭が作られていく。13歳という時期は、自分のアイデンティティが形成される重要な分岐点だったって感じがするね。
自分の「キャラ付け」と「黒歴史」を愛する方法
13歳くらいの時期って、周りとの関係性の中で「自分ってどんな人間なんだろう」と位置付けられていく時期だよね。コミュニティによって自分のキャラが変わる流動的な感覚、今でも抜けていない気がするな。
わかる。自分もどこに行っても「自分は何キャラか」が未だにわからないんだよね。MBTIみたいな性格診断が流行るのも、みんな自分の立ち位置を模索しているからかもしれないね。
当時は周りに合わせるタイプだったけど、大人になって振り返ると、当時の自分は「黒歴史」だなと思うことも多いよね。
いや、俺はもうその黒歴史を愛せるようになったよ。例えば、自分の好きなものを相手に強要しまくっていたこととかね。当時は相手の熱量まで配慮できなかったけど、それも若さゆえの熱量だったんだよね。
自分の熱量と相手の熱量が同じじゃないって、当時は気づけないもんね。「俺が面白いんだからお前も絶対面白いだろ」って押し付けてたな。でも、そういう周りを振り回す熱量があるタイプが、結果的に大きなことを成し遂げたりするのも事実だよね。
そうなんだよね。あの頃の熱量を失ったとも言えるけど、それも含めて自分の人生。黒歴史を否定せず、そのままの自分を肯定することが、未来を切り拓く幹になるんじゃないかな。
なぜ「人と違う自分」でいたいのか?アイデンティティの芽生え
社会性を身につける過程で、痛みを伴うメタ認知を経験するよね。浮いてしまった経験や黒歴史を経て、「これじゃダメだ」と自分を客観視できるようになる。この時期に自分のアイデンティティや、いわゆる中二病的な感覚が芽生えてくるんだと思う。
そうだね。黒歴史を避けて通るより、あえて経験するほうが健全だと思う。模範的すぎる人間は逆に心配になるし、社会に出た時に少し「エグミ」がないとやっていけない気がするんだよね。
わかる。俺は中学の頃から、周りと違う自分をアイデンティティにしたいというひねくれた気持ちがずっとある。グループの中で役割が被るのが嫌で、意図的に立ち位置をずらしてきたんだ。そうやって差別化することで、自分の輪郭がはっきりしてくる感覚がある。
僕はどちらかというと「ナチュラルボーン」で違うタイプかな。趣味や好きなものが周囲と全く重ならなくて、「自分は他者とは違うんだ」と強く認識した経験がある。意図的か先天的にか、どちらにせよ「人と違う自分」を確立することが、今の自分を形作る幹になっているんだよね。
確かに、自分の「好き」を周囲に押し付けても「まあ、いいけどね」と流されてしまうあの孤独感。あれもまた、自分という個を際立たせるための通過儀礼だったのかもしれないね。結局、模範的な生き方への憧れと、そこから逸脱したいという衝動の間で揺れ動くのが、13歳という時期のリアルなんだと思う。
そうですね。その揺らぎこそが、後に自分の「取扱説明書」を作るための大切なデータになる。黒歴史や人とのズレを恥じるのではなく、「なぜ自分はこう感じたのか」と分析し続けること。それが、大人になった時に自分を支える強固なアイデンティティの幹になっていくわけですね。
まさにそれだね。社会に馴染もうとしながらも、どこかで「自分は他人とは違う」というエッジを効かせていたい。その矛盾を抱えながら歩んできたからこそ、今の自分がある。「人と違うこと」を恐れず、むしろそれを武器にしていく姿勢こそが、未来を切り拓くためのヒントになるんじゃないかな。
流行に流されない?13歳で気づいた「自分だけの好き」
13歳の頃って、周りと「自分は違うんだ」と差別化したい欲求が強かったよね。俺の場合、グループ内での立ち位置が被るのが嫌で、意図的にキャラをずらしてた。そうやって自分の立ち位置を確保することで、自分という人間を理解しようとしてたんだと思う。
僕はどちらかというと「ナチュラルボーン」で違うタイプだったかな。当時、みんながパズドラやモンストに熱中していても、自分は全くハマれなくて。本当に自分がいいと思ったものしか愛せないという感覚が、その頃から強かったんだよね。
わかる。俺も周りに合わせるストレスと天秤にかけて、無理なら辞めるタイプだった。でも今振り返ると、流行りのゲームも「コミュニケーションのツール」として捉えれば、また違った楽しみ方があったのかもね。
そうなんだよね。当時は自分の好きを貫くことに必死で、周りと合わせる楽しさに気づけなかった。でも24歳になった今、あえて流行に乗ってみることで広がる世界もあるんだと実感してる。13歳の頃の「自分だけの好き」という軸は持ちつつ、柔軟に社会と関わる大切さを学んだよ。
確かにね。13歳の頃は「流行りに乗る=自分を失う」みたいに極端に捉えていたけれど、大人になってみると、流行はあくまで共通言語の一つに過ぎないんだよね。そこに自分なりのエッセンスをどう加えるか、という視点があれば、もっと楽に生きられたのかもしれない。
そう、まさにそれ。当時は「みんなと同じことをしている自分」を認めるのが怖かったんだと思う。でも、自分の核となる「好き」さえ揺るがなければ、周囲と足並みを揃えることは決して自分を捨てることじゃない。そのバランス感覚を、13歳の自分に教えてあげたいよ。
結局、黒歴史も含めて、あの頃の「人と違いたい」というひねくれたエネルギーが、今の自分を形作る幹になっているのは間違いないよね。流行に流されない強さと、他者と繋がる柔軟さ。その両方を持ち合わせることが、これからの時代を生き抜く鍵になるんじゃないかな。
13歳の自分は10年後をどう描いた?キャリア形成に必要な自己理解
13歳の頃、10年後の自分が何をしているか想像したことはある?当時の自分は、まさか自分が大学院に進むなんて1ミリも思っていなかったはずだよ。当時はもっと人前に出るような、目立つ仕事を夢見ていたかもしれないね。
わかる。僕も当時は将来の解像度が低くて、周りに流されて大学に行き、なんとなく働くんだろうと漠然と考えていたよ。でも、13歳から現在までの10年間で、自分という人間の「幹」は出来上がった気がするんだ。
そう、幹は同じでも枝葉は変わる。その10年間で、自分という積み木を組み立てながら、同時に「自分という人間の取扱説明書」を書いていくような感覚だよね。就活で求められるのは、積み木の立派さよりも、その取説がいかに分かりやすく書かれているかだと思うんだ。
まさにそうだね。自分の好きなものや、何に美を感じるのかを言語化して、「なぜそれが好きなのか」を説明できる力が重要なんだ。環境が変われば求められる役割も変わるけれど、自分の芯を自覚していれば、どんな変化にも対応できるはずだよ。
社会に出る前のこの時期に、変わりたいだけ枝葉を伸ばして、自分を分析しておく。それが未来を切り拓くための指針になるんだよね。このポッドキャストを通じて、僕たちも改めて自分自身を深掘りしていこう。



