
10代の7割が「死」を考える理由と、考えない3割の意見
13歳という年齢で死や人生の意味を考えるのは、決してあなただけの問題じゃないんだよね。2025年のワカモノリサーチによる調査によると、14歳から20歳の若者のうち約7割が「死」について考えたことがあるという結果が出ています。
もうその年齢から考えだすんだよね。7割という数字は、かなり高い割合だと感じます。
そうですね。理由として多いのは、身近な家族やペットの死を経験すること。あとは、アニメや映画といったフィクション作品を通じて死生観に触れるケースも多いです。デスゲームや死後の世界をテーマにした作品は、生きる意味を突きつけるきっかけにもなりますよね。また、いじめや孤独といった現実的な苦しみが、死を意識させる要因になることもあります。
なるほどね。一方で、残りの3割は死について考えていない。その差はどこにあるんだろう。
「今は幸せだから考える必要がない」というポジティブな意見や、「まだ死ぬ年齢じゃない」という死を遠いものと捉える感覚があるようです。中には、「考えても無駄だ」と悟りのような開き直り方をしている子もいて、13歳にしてはかなり大人びているなと感じますね。
考えても仕方ないっていう割り切り方は、俺にはまだできていないかも。悩み続けること自体が、若さゆえの葛藤なのかもしれないね。
確かにそうですよね。僕もその「考えても仕方ない」という境地には、なかなか到達できない気がします。ただ、この3割の子たちが持っている「今は今で精一杯楽しもう」という感覚も、ある意味では死を意識しないからこそできる全力の生き方なのかもしれません。
わかるわ。死を意識しすぎると、どうしても足がすくんでしまうことってあるじゃん。でも、7割の子たちが抱えている「死への問い」は、決してネガティブなものだけじゃないと思うんだよね。「死」という終わりを意識するからこそ、「今、どう生きるか」という問いが生まれるわけだし。
まさにその通りだと思います。死を考えることは、裏を返せば「生」を真剣に捉えようとする姿勢の表れですよね。13歳という多感な時期に、そうした哲学的な問いに向き合っていること自体が、実はとても尊いプロセスなんだっていうふうに僕は考えています。
そうだね。死という大きなテーマを前にして、自分なりの答えを探し始める。その過程で、自分という人間が形作られていくんだと思う。だから、もし今死について悩んでいる子がいたとしても、それは自分らしい人生を構築するための大切なステップなんだって、まずは知っておいてほしいですね。
学術調査が示す「死生観」の変化と自傷行為の関連性
スクールカウンセラーも務める伊藤美奈子教授が主導した、小中高生を対象にした興味深い調査があるんだよね。生と死への考え方、うつ傾向、自傷行為の経験、相談相手の有無を統合的に分析したものだよ。
なるほど。単に「死が怖いか」だけじゃなくて、メンタルヘルスとの相関まで見ていたんだね。
そう。特徴的なのは、「死は怖い」と捉える割合が中学生で一度下がること。その後、高校生になるとわずかに戻る傾向がある。また、死を「身近か遠いか」「怖いか怖くないか」で分類すると、どの年代でも「死は身近で怖い」と考える子が5、6割を占めているんだ。
大多数はそうなんだね。でも、成長とともに変化もあるんじゃないかな。
その通り。中学生から高校生にかけて、死を「身近だけど怖くない」と捉える子が増えている。これは「考えても仕方がない」という諦念にも近い感覚と連動している可能性があるね。そして重要なのが、死を「身近で怖くない」と考える子ほど、自傷行為の経験率が高いというデータだ。
それは無視できない事実だよね。死が日常の延長線上にあり、かつ恐怖感が薄い状態というのは、精神的にかなり危ういサインかもしれない。
研究では、中学生が最も自傷行為の割合が高いと指摘されている。結局、死を遠ざけるのではなく、「死について考えること」自体をタブー視せず、対話していくことの重要性が示唆されているんだよね。
ネットが変える「死」の捉え方 13歳の頃の死生観を振り返る
人生の意味については語られることが多いけれど、「死ぬこと」自体については、家庭でもあまり深く触れられてこなかった気がするんだよね。そもそも人間は、現状に満足して幸福度が高いときには、死について考えないものなのかもしれない。
確かにそうだよね。大前提として「生きていないとできないこと」を教わってきたし、基本的には死ではなく「生きる方向」で物事を考えるのが当たり前だった。ただ、今はネットの影響で死が以前よりも身近になっていると感じることはない?
すごく感じるよ。SNSでは「好きすぎて死ぬ」といった強い言葉が比喩として日常的に飛び交っている。本人たちは意識していなくても、そうした言葉に触れ続けることで、死という概念がカジュアルに常態化している側面はあるよね。特に自分の意思で選ぶ「自死」が、より身近な選択肢として意識されているような気がしてならないんだ。
昔、嬉しさのあまり「死にそう」と言ったら親にたしなめられたのを思い出したよ。本来は重い言葉なのに、ネット上では軽々しく使われすぎているよね。僕自身が13歳の頃を振り返ると、身近な死の経験が少なかったから、「死は怖いけれど遠い存在」という感覚だったかな。
なるほどね。死後の世界についても、小学生の頃は地獄や天国の話を信じていたけれど、中学生になると斜に構えて「確かめようがない」と割り切るようになる。その中で、自分なりの死生観が形作られていくわけだよね。
そう。死後の世界は分からないけれど、「最期を迎えるときは絶対に来る」という事実は変わらない。だからこそ、後悔しないように生きることを自分軸に置くようになったんだ。どうせ生きるなら、楽しいことを積み重ねていきたい。人生をただの暇つぶしにするのではなく、自分らしく形づくっていくことが大切だよね。
「人生の意味」は変化する?「気楽に生きる」選択もある
13歳までの僕は、世界という大きな流れの中で「名前を残す」ような存在になりたいと考えていました。でも、それが難しいと気づいてからは、愛する家族や大切な人を守り、幸せにすることが人生の意味だと考えるようになったんです。25歳になった今では、その視点がさらに広がり、次世代の未来をより良くするために、人生のリレーをつないでいくことに貢献したいと思うようになりました。
なるほどね。俺の場合は、中学生の頃はもっとシンプルだったかな。思春期特有の悩みはあったけど、好きな音楽を聴いて「もっと気楽に生きていいんだ」と思えたのが大きかった。立派な夢や大義名分がなくても、「まだ死にたくない」「楽しいことをたくさんしたい」という純粋なワクワク感だけで、生きる理由としては十分だよね。
確かに、世の中を面白がる姿勢を積み重ねることは大切だよね。社会学的に見ても、人生の意味なんて最初から決まっているわけじゃなくて、後からついてくるものなのかもしれない。
そうそう。社会学で言う「予期せぬ結果」みたいに、当初の予定とは違うことが起きるのも人生の醍醐味だよね。最近はあまり意味づけに固執せず、直感や「こっちの方が良さそう」という感覚に身を委ねるようになったよ。悩みすぎず、その時々の流れを楽しむくらいのスタンスが、自分らしい人生を形づくるコツなんじゃないかな。
13歳の君へ「自分のために生きろ」悩むことと折り合いをつける方法
13歳の君へアドバイスをするなら、「赴くままにやりたいことをやればいい」と伝えたいですね。何でもかんでも意味付けしなきゃいけないと思い込む必要はない。直感で「これでいいか」と選ぶことも、人生においては大切な選択肢の一つですよ。
そうだね。全部に意味を持たせようとせず、もっと適当に生きていいんだよ。俺自身、バイクに乗ることは理屈じゃない。効率や便利さではなく、「かっこいい」という直感に従うことで、心が豊かになる余裕が持てた。意図的に自分のための時間を作ることは、ストレス社会を生き抜く術にもなるよね。
確かに、悩んでいる子たちに「気楽に生きろ」と言うのは無責任に聞こえるかもしれない。でも、「悩むこと」と「自己嫌悪に陥ること」は別物だよね。考えすぎて動けなくなるのは精神衛生上よくないし、どこかで折り合いをつけることも必要だと思う。
その通り。とことん悩むのは大事だけど、それが癖になって自分を嫌いになるのは避けたい。俺も受験で失敗した時はどん底だったけど、「人生は自分自身のためにある」と気づいてから楽になれた。誰かの顔色をうかがう必要なんてないんだ。
誰かのための人生ではなく、自分のための人生。その感覚を持てれば、悩みの質も変わってくるはずですね。
そう。自分のために生きることは、誰にも侵害できない権利なんだ。悩む方向性も、適当に生きる選択も、すべては自分のためにあってほしい。そう思えるだけで、肩の荷が少し下りるんじゃないかな。



