
青少年の余暇活動調査!SNS利用がメンタルに与える影響
僕たちが13歳という多感な時期に、何を心のよりどころにしていたのか。当時の自分たちを振り返りつつ、現代の若者がどう過ごしているのかを考えていきたいんですよね。
そうですね。僕たちなりの視点も交えながら、深掘りしていければと思います。
国立青少年教育振興機構が発表した「青少年の体験活動等に関する実態調査」という興味深いデータがあるんです。余暇の過ごし方と心の健康の相関を調べたものなんですが、体を休める、読書、スポーツ、あるいはボランティアや家事の手伝いといった活動をしている層は、精神的に健康だと答える割合が高いという結果が出ています。
なるほど。身体を動かしたり、何か具体的な体験を積み重ねたりすることが、メンタルの安定に寄与している感じがしますね。
そうなんです。他にも、文化芸術的な活動や勉強に打ち込んでいる層も、比較的メンタルが健康な人が多いんですよね。一方で、すごく現代的だなと感じたのが、インターネットやSNSに多くの時間を費やしている層のデータです。
SNSですか。そこは気になるところですよね。
普段からSNSを見たり投稿したりしていると答えた人の中に、「メンタルが健康ではないかもしれない」と回答する人が多かったんです。これって、今の時代を象徴するような結果だと思いませんか?
いや、わかる気がします。SNSは常に他者と比較したり、情報の波に飲まれたりしやすい場所ですからね。心のよりどころをどこに置くか、その選択がメンタルに直結しているのかもしれませんね。
幸福度を高める時間の使い方!SNS消費と目的意識の違い
幸福度の研究でも言われていることだけど、余暇の過ごし方として外に出たり、人に会ったりすることに時間を使うと幸福度は高まりやすいんだよね。一方で、ネットサーフィンやテレビを長時間見るような受動的な過ごし方は、満足度が上がりづらいという結果が出ている。これは非常に面白い傾向だよね。
学問的なデータと、現実の実態が一致しているのは興味深いっすね。体を動かしたり、誰かと関わったりすることが精神的な健康に良いというのは、なんとなく実感としてもわかる気がするんだよね。
確かに部活などで強制的に人と関わる環境にいる中高生でも、休日のネット消費が幸福度を下げてしまうという事実は意外だよね。結局、「人と関わる」か「何かに集中する」か、このどちらかに時間やエネルギーを注ぐことが、メンタルには重要なんだと思う。
わかる。例えば本を読んだり、楽器を演奏したり、あるいは誰かと会うために時間やお金を使うこと。そういった「目的意識」を持って時間を使うことが、結果として幸福感につながるんじゃないかな。
その通りだよね。一方で、ショート動画をひたすらスワイプし続けるような消費の仕方は、あくまで暇つぶしであって、充実感とは程遠い。なんとなく時間を溶かすのと、「これをするぞ」という目的を持って時間を使うことの差が、幸福度の違いとして表れているんだろうね。
僕らも今日こうして対面で収録するために、わざわざ時間を使って集まっている。こういう人との繋がりや、目的を持った行動こそが、人生を支える大切な要素になるんだよね。
ストレス解消がストレス源に?SNSとゲームの落とし穴
心身の健康を保つには、ストレスを溜めない過ごし方が重要だよね。ただ、ネットを見ていると逆にストレスが溜まることも多い。本来は心の支えになるはずの場所が、レスバや過激な投稿で雪崩のように崩れてしまう感じがするんだよね。
わかるよ。僕も13歳の頃、友達とゲームで高め合うのが楽しかったはずなのに、いつの間にか「完璧にこなすこと」が目的になってしまった。加点法で楽しんでいたものが、気づけば減点法になっていて、自分を許せなくなる。ストレス解消のつもりが、逆にストレスを溜め込んでいたんだよね。
それはあるよね。怖いもの見たさでエゴサをしてしまったり、SNSのアルゴリズムが炎上系のコンテンツばかりを学習して流してきたり。「見たくないもの」が強制的に視界に入る仕組みが、心を休める時間を奪っているのかもしれないね。
そうなんだよね。一度いいねを押すと、おすすめ欄がネガティブなニュースで埋め尽くされて、常に誰かを叩くような情報に触れ続けてしまう。「心を休めるためにネットを開いたはずなのに、なぜかイライラしている」という矛盾は、現代特有の落とし穴だよね。
結局、SNSの特性上、良くも悪くも目立つものが優先されるからね。「見たくないなら見なければいい」という言葉は簡単だけど、実際はアルゴリズムに誘導されて、知らず知らずのうちにストレスの渦中に引きずり込まれているんだよね。
非合理なものにこそ価値がある!知的探求心と13歳の支え
中学生くらいになると、ネット文化の影響もあって「推し活にどれだけお金を使えるか」がステータスになりがちだよね。例えば、推しのグッズをバッグに詰め込む「痛バッグ」なんて、まさに「これだけ推しに投資している自分を見てくれ」という自己証明の側面が強い気がするんだ。
確かにそうですよね。部屋をアクリルスタンドで埋め尽くして発信するような光景もよく見かけます。ネット文化は流動的で変化し続けるものだけど、改めて考えると、僕が13歳の頃に支えられていたものって、今の主流とは少し違っていた気がするんです。資本や経済を回すこととは無縁の、もっと純粋で「変なこと」だったというか。
お金稼ぎが悪いわけじゃないけど、それが先行すると見えなくなる部分もあるよね。
そうなんです。昔のネットは、もっと「個人の変な才能の発表会」や「展覧会」のような場所だった気がするんですよ。誰かに勇気づけられたり、自分もボカロPになったらどうなるかなんて妄想したり。そういう、無秩序で合理性のない、馬鹿みたいな行動や才能にこそ、僕は支えられていたんだと思います。
それって、イグ・ノーベル賞みたいな話だよね。学問的な進歩に直結するかはさておき、純粋に好きなことを突き詰める姿勢を面白がるっていう。
まさにそれです。一見非合理なことを面白がる感性って、研究においてもすごく大事なんですよね。対象を馬鹿にするんじゃなくて、興味深いものとして観察する。13歳の頃に感じた「非合理なものを愛する心」が、今の大学院生としての自分を支える知的探究心に繋がっているのかもしれませんね。



